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生命科学コースでは遺伝子の働き方など、主にミクロの生物学を学びます。しかし卒業時の進路は、生物関係にとどまらず、非常にフレキシブルです。もちろん製薬業界や食品業界へ進む人が多いのは変わらない傾向ですが、中には在学中に釣りにハマって釣具関係の業種に就いたり、毎日自動車で通学しているうちに車に興味がわいて自動車業界に就職したりするツワモノまでいます。卒業生が、先入観にとらわれず、それぞれの興味に従って多様な職種に就いているのも特徴といえるでしょう。
今回の卒業生インタビューでは、菅研究室の鍛治原(小林)尚斗さんを紹介します。彼の大学生活は、入り口も出口も個性的です。
これを言うと怒られそうですが、当時交際していた彼女が広島に住んでいたので、広島に来たかったというのが一番の理由です(笑)。もともと生物が好きだったこともあり、生命科学系の広島の大学を色々調べる中で、県立広島大学に興味を持ちました。
オープンキャンパスにも参加しました。甲村研の圃場見学、山下研の卵子の観察や取り扱い、八木研でのクラミドモナスの観察などを体験しました。生命科学科(現在は生命科学コース)の具体的な研究内容に触れ、自分もそのような研究がやりたいと思い、第一志望で推薦入試(学校推薦型選抜)を受験しました
一番の思い出は部活動です。エスキーテニス部とウィンドオーケストラ(吹奏楽)に所属しました。
中でもエスキーテニス部では3年生の時にキャプテンをつとめ、チームも好成績を上げることができました。最終的には予選を勝ち抜き、香川県で行われた全国大会にも出場しました。
エスキーテニスは広島発祥のスポーツです。大学から始める人が多く、大会や合同合宿など他大学や社会人との交流が多いことも特徴です。練習の成果が出やすいので、部員のモチベーションも高く、仲間たちと充実した学生生活を送ることができたと思います。
中央が鍛治原さんです
どんな学生だったか、ですか…。あまり胸を張っては言えませんけど、バイトを掛け持ちして一限に遅れるような(でも何とかしてギリギリ滑り込むような)学生だった、といえば伝わるでしょうか。スキーが大好きで雪が降ると平日でも講義を放り出してスキーへ行っていました。車で1時間かからないくらいのところにスキー場があるのでウィンタースポーツ好きな人にはいい立地だと思います。
研究室に入ると、先生がやはりスキー好きでしたので、よく一緒に行きました。2人だけで行ってほとんど休憩なしに一日中滑りまくったことや、その後近くの温泉にまで付き合わされたことすらあります(笑)。
右から二人目が鍛治原さん
いくつか候補がありました。特に八木研究室の鞭毛の研究や、菅研究室の多細胞性の進化の研究にも興味を持ちました。しかし、決め手となったのはフィールド科学卒論(現在は「地域課題解決研究」— 学部や学科の垣根を越えて、地域が抱える問題を解決することを主目的とした卒業研究)の募集でした。本来なら分子生物学や生物進化学が専門のはずの菅先生が、「隣町の三次の妖怪伝説をモチーフにしたスマホゲームのアプリ開発を行い、町おこしに貢献したい。パソコン操作等が得意な人は声をかけてほしい」とアナウンスされていたのです。
私にはプログラミングの経験はありませんでしたが、実は物心がついた時からパソコンには触れていて、趣味の動画編集などを通じ、コンピュータやプログラムがどのように動くのかといった感覚には少し自信がありました。生命科学科には、生物のDNA配列を情報としてとらえ、それをコンピュータで解析する「バイオインフォマティクス」という講義があるのですが(注:残念なことに現在はありません)、周囲が苦戦するなか、自分はかなり余裕をもって課題をこなせました。「生命科学科で妖怪?アプリ?それが卒論?」といった戸惑いもありましたが、新しい研究内容に対する興味が勝りました。これはまさに自分のための研究テーマではないか!?
3Dモデリング、地域の妖怪伝承、もののけミュージアム(2019年三次市に建設された、妖怪をテーマとした博物館)、スマホアプリ開発という面白そうな内容づくめで、わくわくした気持ちで菅先生に「ぜひこのテーマで卒業研究をやらせてください!」とお願いしに行ったのを覚えています。
菅先生と面接をした後、実際にやれそうかどうか試してみる目的で、事前課題を与えられました。パソコン上で立体のイルカやロボットを作り、それを動くようにするという内容だったのですが、いかにリアルな形に近づけるか、本当に泳いでいるかのように動かすにはどうしたら良いのかなど、課題ということを忘れるくらいのめり込みました(笑)。
卒業研究では、パソコンの前でソフトウェアを操作したり、アプリがうまく動くようにプログラムを修正したりする作業が主でした。それが少し形になってくると、三次市の市役所や、博物館に出向き、職員の方々と打ち合わせをします。開発中は良かれと思って取り入れたアイデアやゲームのデザインが、社会実験に持っていくとうまく行かないこともありました。そのあたりのノウハウは、社会科学がご専門の村田和賀代准教授(地域資源開発学科)からご指導いただきました。理系の大学でありながら社会や人とのかかわりについて考えることができたのもこのテーマを選んだからこそだと思っています。
最後は妖怪の博物館に来場された一般の方々にアプリを遊んでもらい、前向きな評価をいくつもいただきました。博物館近くの街並み保存地区に観光客を誘導したいというのがアプリの目的の一つだったのですが、アプリには、参加者がどのように動くかを調査する仕組みも取り入れてありましたので、それを使って町おこしの具体的な提案をすることもできました。それを聞きつけた新聞社の取材まで受けました。大変でしたけど、充実した時間でした。
機械設計をしています。畜糞の乾燥焼却機、胡麻の焙煎機、汚泥の乾燥焼却機などをオーダーメイドで製作している会社で、客先の条件に合うように機械の大きさ、設備の能力、それぞれの機器の配置などを考えながら乾燥機などの機械自体の設計を行っています。
設計では、CADと呼ばれるソフトを用いてパソコン上で2Dや3Dのモノを作り設計図を作成するのですが、これが卒論で使っていたBlenderというソフトと通じています。
Blenderでは頂点、線、面という要素から立体を作成していきます。その立体的なモノの捉え方、モノの組み立て方、 ソフトの操作感、そういったものが丸々CADへ応用できました。そのおかげで、入社直後から3DCADを扱う仕事を任されるなど、卒論で得た知識や技術がそのまま仕事に繋がっています。
あと、理系の大学の研究室というのはよく機械が壊れるところで(笑)、研究室によっては、壊れてもすぐにはメーカー修理には出さず、まずは自分たちでなんとかしようとします。どこまでやるかはもちろん人によるわけですが、菅先生はかなりディープなところまでいじる人で、それに私もずいぶん駆り出されました。もちろん自分もそういった機械いじりは大好きなわけです。そういった経験も地味に役立っていますね。二人でああでもないこうでもないと言いながら研究そっちのけで修理をするのですが、うまく直って、立ち上げ音とともに機械が生き返ったとき、固い握手を交わしたのも一度や二度ではありません(笑)。
広島はいろいろな想いがこもった場所だなと思います。唯一の市民球団、被爆経験、そのような熱く、時に深刻な歴史に由来する県民の熱量にはすごいものがあると感じます。
私は現在呉に住んでいます。呉という町は、戦時中軍港があり、造船や製鉄で大いに栄えたところです。私が製造業に就いていることもあってか「○○さんのおじいちゃんは戦艦大和の設計士だった」とか、「戦艦のまちだったから設計や製造、造船の会社が多い」とかいったエピソードを頻繁に耳にします。居住地の近くにも海上自衛隊や米軍の施設があるなど、日本の近現代史がすごく身近に感じられます。
少し物騒になってきた世界情勢もありますから、平和というものが一体何なのか、平和じゃないとどうなるのか、それを知るのには広島はうってつけだと思います。