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研ぎ澄まされた感性で、季節のうつろいを見事に捉えた、中村路子さんの針に纏わる俳句を紹介します。
雨音の春となりゆく木綿針
2月8日は「事はじめ」。農耕を開始する日です。冬期に勤しんだ針仕事を閉じる時です。使用した針に感謝し、針を柔らかい豆腐に納めて供養する「針供養」の日にも重なります。先日、針に結びつく興味ある記事が日本経済新聞の電子版に紹介されました。
広島市に本社を置くミカサやモルテンが作り出すバレーボールやサッカーボールは現在、国内市場の大半を占め、広島はまさにボール王国になっています。そのルーツは、中国山地に古代から発達している、「たたら製鉄」にあると言うのです。昔から、たたら鉄を使った品質の高い縫い針が広島では作られ、磨かれた技術により、昭和初期において針は、東アジアへの貴重な輸出品となっていたそうです。輸出するに際し、広島から針を積み込んだ船の復路が空荷になることを解消するため、現地で採取される生ゴムを輸入品として持ち帰るようになりました。その結果、多量のゴム供給を受けたことにより、古くからゴム草履などを製造していた広島のゴム産業は、広島が軍都であることを背景にして、軍隊用のカッパや長靴の生産で全国シェアを高め、併せて加工技術を磨くことができました。
戦後、原爆投下で焦土化した広島に駐留した米軍から、運動用ゴムボールの生産要請が、広島のゴム業者になされました。広島で培われた技術によるゴム縫製に適した針の供給が、ゴムボールの品質をより確かなものにしていくことに繋がったのは言うまでもありません。
この記事は、風化して砂鉄となる中国山地の鉄を多く含む花崗岩と、たたら製鉄に必要な木炭を産み出す中国山地の落葉樹林が、オリンピックの公式球として認められている高品質なバレーボールやサッカーボール生産の原点に繋がる因果を解き明かしてくれました。すなわち、材料や素材を産み出す自然環境、技術力を高める努力と品質にこだわる人間力、針生産とゴム加工という異種業間の協働など、長い歴史を経た多岐に亘る総合的な融合が、ゴムボールのブランド力の背景にあることを示しています。これらの事実は逆に、ブランド品は一朝一夕には産まれないことを明確に物語っています。
次年度、本学は新大学開学後10年目を迎えることになります。大学としてどのようなブランドを社会に示していくのか、そろそろ意識すべき時に入ってきたと言えます。前述のように、様々な複合要因の加算によってブランドが形成されることから、今その姿を、簡単に映し出すことは出来ません。しかし、教育力?研究力のたゆまぬ向上と、地域社会の課題に絶えず目を注ぐことに魂を込める大学で有り続けたいと思っています。そうした地道な努力無しに、我が大学のブランドが産まれることはあり得ないからです。
県立広島大学 学長 中村 健一