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もの言えば唇寒し、秋の風
松尾芭蕉が相手の短所を指摘したあとの、後味の悪さとわびしい気持ちを句にしたものです。彼はこの句を座右の銘として戒めとしたそうです。彼にとっては、相手の考え方や行動の不適切さを説き、修正を願う気持ちで発した言葉かもしれません。しかし不幸にも、その言葉により、お互いの心には、解けないわだかまりが生じたことは確かです。こうした心の通い違いは、教育現場でもしばしば起こります。
数年前、複数の新聞に京都のある大学で生じた問題が報道されました。以下その記事の一部を紹介します。
大学によると、教授は昨年10月11日午前零時半ごろ、短期大2年の女子学生から直前に受け取った授業の質問メールに、「1度電話を下さい」とメールで返答。15分後に学生が電話したが、教授は「この時間帯に電話してくるとは何事だ」と取り合わず、その後も電話に応じなかった。学生は精神的に悩み、以降の授業をすべて欠席した。
『京都新聞?概要 2009/2/13』
大学は、「アカデミック?ハラスメント」をしたとして、教授をけん責処分にしました。「時間を指定するなど適切に対応すべき。学生に申し訳なく、本人も反省している」という大学のコメントが添えられていました。この報道内容は、教育の現場に関わるものに多くの考えさせられる問題を提起しているように思われます。多かれ少なかれ、学生との意識齟齬は、大学においてしばしば経験することだからです。昔気質の先生でしたら、深夜に電話をかけることが非礼であることを叱責して毅然とした対応を示したという認識、そして電話に取り合わなかったことの理由については、お詫びは直接会って述べるべきという頑なな考えを持っていても不思議ではないでしょう。一方、学生にとっては、深夜に電話をかけたという教授の叱責に対し、うろたえながら、非を詫びる電話を必死にかけた姿が想像できます。恐らく眠ることができない一夜を過ごしたに違いありません。
大学に身を置く立場としてとるべき適切な態度は?難しい問題ですが,最近学んだ実践心理学の本の内容がヒントを与えてくれているように思います。コミュニケーションの前提として、人は「安全、安心を求める」と言うことを絶えず意識して会話することが、相手とのラポール(信頼関係)を築く上で最も重要になるということが説いてありました。詰問や一方的な叱責は、反発か逃避しか産みません。そこには,教育的効果は全く存在しません。教育者としての立場にある以上は、人生を学びつつある学生に対し、相手の心の安心感を絶えず探りながら会話することが要求されるのです。難しいながらも、心に課して努力していこうと思っています。私自身もまだまだ学ぶべき存在だからです。
県立広島大学学長 中村 健一